東京23 区のほぼ中央に位置する新宿には、染色業が息づいています。
Finding My Favorite Color

新宿区には、日本の伝統工芸である「染め物」の文化が根付くエリアがあります。
今でも染物工房が点在し、その文化を守り続けています。
職人の技術と美しい数々の染め物を、ここ新宿でお楽しみください。
There is an area in Shinjuku City, Tokyo where the culture of dyeing is rooted.

はじめに

東京23区のほぼ中央に位置する新宿には、経済産業大臣指定の伝統的工芸品でる東京染小紋、東京手描友禅に代表される染色業が立地しています。新宿といえば、ちかく超高層ビル群や繁華街のイメージばかりが強調されがちですが、一方にはこういった伝統産業が地場産業として息づいているのです。

区内の染色業は、大正の中頃、神田川の瀬尾竜に目をつけた染色業者が高田馬場に工場を新設、そこを独立した職人がさらに川の流れをさかのぼった場所に染工場を開いたのが草分けです。染色は水洗いなど多量の水が必要で、しかも水質によって染め上がりも変わってくるため、水の選択は立地上の重要な要素でした。大正12年の関東大震災の後になると、浅草や神田で営業していた染色業者が移ってくるようになり、昭和に入って西武線が開通してからは、神田川、妙正寺川をはさむようにして、その数もぐっとふえました。そして、川筋の染工場の職人たちが川のあちこちで水洗いをするという風物詩が、昭和30年代まで続きます。

今日では、もはや河川での水洗いもかなわなくなり、地下水などが利用されていますが、神田川がそのかたちを変えながらも流れを絶やさぬように、この染色業も、代々の技と歴史を絶やさずに今日に至っています。

新宿区染色協議会

新宿区染色協議会は、着物産業に携わる人たちで構成されています。染小紋、友禅模様、糊画、紋章上絵、刺繍等の業種があります。

各会員は、業種を超えて相互の情報交換、連絡調整を図り、業種別団体が共同して新商品の開発・研究、作品の発表会や展示即売会等を開催するなど、業界の新興・発展に努力しています。また、新宿区が開催する染色文化展の中で、作業の実演、技術の公開を通して、広く染色産業全般の啓蒙に努めています。

このままでは、貴重な民族的財産がすたれてしまうという危機感から、昭和49年5月、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が制定されました。この法律に基づいて通産大臣が伝統的工芸品に指定した品目については、その保護育成のため総合的な施策がとられることになっています。今日まで全国で184品目(伝統的用具・材料3品含む)がこの指定を受けており、東京染小紋は昭和51年6月に、東京手描友禅は昭和50年3月に伝統的工芸品に指定されました。

また、このような動きに対応して、東京都でも昭和56年度から独自に「東京の伝統品」の指定を行っており、新宿区の染色関係では、上記2品目のほか、江戸更紗・江戸刺繍・東京無地染が、江戸時代からの伝統性と技法を認められて伝統工芸品に指定されています。

染の王国・新宿

新宿の染の始まりは、江戸時代幕藩体制のお膝元である、お江戸神田紺屋町などに代表される地名でもあらわされるように、神田川流域の神田から隅田川周辺の浅草に染屋の集散地は広がっていたようです。全国から集まる大名や商人や、また、物流の中心である大都市江戸市街はその時代の流行の中心でもありました。そこには越後屋などに代表される大呉服店が日本橋界隈に点在し、そこで生み出された流行はすぐに神田の染屋に注文されたわけです。

時代は変わり明治の時代から大正時代になると、神田や浅草は繁華街に呑み込まれ行き場を失った染屋は神田川をさかのぼり、江戸川橋(現在の椿山荘の下)、早稲田戸塚周辺から高田馬場あたりにかけて、まず大規模な浴衣(注染そめ)工場の進出がありました。その後、規模の大きい東京染小紋、江戸更紗の工房が進出し、その染の関連業種が続いて進出しました。そこに一つの染の集散地が形成されると、東京手描友禅の職人さんもやってまいりました。ここ新宿・神田川流域に東京で一番大きな染の主産地が出来、全国の染の産地と披見される場所になったのです。

東京の産地には他に、隅田川をさかのぼり駒形から亀戸にかけての集落と、目黒川の流域に当たる中目黒周辺から三軒茶屋にかけての集落がございましたが、新宿の集散地に比べると小さいものでした。

第二次世界大戦が終わり朝鮮特需が始まりのころ、戦争で着物を焼け出されたご婦人方は争って着物を買い求めました。これが、日本の流行の中心であった東京銀座のファッションの意向をいち早く取り入れ、新宿の染は戦後第1次キモノブームの中で日本の三大産地 京都・金沢・東京といわれるようになりました。その中でも、東京の染の需要の伸びは他を圧するほどで、当時を知っている職人は色が付いていれば東京物という名前だけで売れたという好況でした。そのころ形成された柄の特徴は、当時洋服の流行の発信地であった銀座ファッションの影響を受けたモダンで粋な柄が特色でした。

その後、昭和40年代に入ると着物の需要が減る中で柄行は京都、金沢の古典柄に移り、東京の染は衰退してゆきました。しかし、東京友禅は東京無線描きという手法を編み出し流行を作り、付け下げという種類のキモノを作り出しました。同じく40年代には東京紅型の酒脱な柄行がはやり50年代には江戸更紗のブームがおき、隅田川・荒川周辺の更紗工房に東京の染の中心は移りました。

平成時代に入ると江戸小紋のブームが起こり小紋は大いに潤いました。また、東京染小紋、東京友禅は全国伝統的工芸品の指定を受け日本伝統工芸士が多数おります。また江戸更紗、東京無地染めは東京都伝統工芸品に指定されその伝統工芸士の活躍は東京都伝統工芸展などで広く見受けられます。

このような東京の染の歴史の中で新宿の染は中心的な役割を果たしてまいりました。今後、我々、新宿の染を担うものは染の流行の中心となり全国に発信してまいります。

伝統的工芸品

現代のわたしたちの暮らしは機械による量産品にとり囲まれていますが、その一方で、日本の風土と歴史に根ざした品々を伝統的技法を守りながら作りつづけている人々がいます。

近年、消費者の間で伝統的な手づくりの味わいを見直そうという動きが出てきていますが、こういった工芸品は、そのほとんどが時代の波を受けて需要の落ち込みや後継者難等の問題を抱えています。

このままでは、貴重な民族的財産がすたれてしまうという危機感から、昭和49年5月、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」が制定されました。この法律に基づいて通産大臣が伝統的工芸品に指定した品目については、その保護育成のため総合的な施策がとられることになっています。今日まで全国で184品目(伝統的用具・材料3品含む)がこの指定を受けており、東京染小紋は昭和51年6月に、東京手描友禅は昭和50年3月に伝統的工芸品に指定されました。

また、このような動きに対応して、東京都でも昭和56年度から独自に「東京の伝統品」の指定を行っており、新宿区の染色関係では、上記2品目のほか、江戸更紗・江戸刺繍・東京無地染が、江戸時代からの伝統性と技法を認められて伝統工芸品に指定されています。

伝統工芸士

伝統工芸士とは、高度の伝統的技術を保持し、その技術を次代に伝える指導者としての役割を担う技術者に贈られる称号です。

伝統工芸士の称号は、国が実施する伝統的工芸品に関する知識及び実技の試験に合格したものにたいして与えられます。現在、通産大臣指定の伝統的工芸品のなかで、染色業では、区内の染色業に関わる多くの方が、伝統工芸士として活躍してます。