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東京新聞に掲載されました。



東京新聞に掲載されました。
2004年10月15日(金)朝刊

HNKで取り上げられました。



HNKで取り上げられました。
2004年10月15日(金)放送

[江戸時代の落合風景(江戸名所図絵)]




田島橋の上流が神田上水と妙正寺川の合流点で、二つの川が落ち合うことから「落合」の地名が起こったといわれております。落合土橋も田島橋の上流にありました。現在の落合橋辺りとする説もありますが、「江戸名所図絵」の「落合惣絵」で見ると、一枚岩の上流の妙正寺川に土橋が見え、こちらの可能性もあります。この辺りは螢狩りの名所として知られていました。ここの螢は大きく、強い光を発するといわれ、螢の名所京都の宇治や近江の瀬田にも勝り、夜空の星のように乱れ飛んでいたそうです。「江戸名所図絵」には螢の名所として俤の橋と落合土橋をあげています。また落合螢の項のさし絵は、背景から見て田島橋や氷川神社の少し下流あたりが描かれているようです。当時の神田川上水は高田から落合にかけて、数多くの螢が生息していたようです。蛍狩りは、芒種(ぼうしゅ)から夏至の間が盛りで、日が暮れると夕涼みをかねて人が集まりました。月見の名所でもあり、人々は時間を忘れて楽しみました。

さし絵で見ると、人々は竹の葉をつけた竿や団扇を使い、田んぼの畦や小川の岸辺で螢を追っています。捕らえた螢を入れる虫籠をもっています。子供連れの家族が多いようですが、男どうしのグループも何組か見られます。武家や大店に奉公する者が主人のために螢を捕りに来たのか、あるいは虫売りを商売とする者でしょう。江戸の人たちは、螢やこおろぎ、松虫、鈴虫などを飼い、その光や声を楽しんでいたようです。新宿歴史博物館「落合ほたる」参照